「平和的生存権」から平和憲法の原点をとらえなおす
憲法ネットの発足7周年の記念講演会が11月17日にオンラインで開催された。報告者は稲正樹さん(元国際基督教大学教員)で「憲法の軍縮平和主義の原点から見た平和主義の現況―『自衛のための実力の保持・行使』に関する憲法研究者の見解を中心にして」をテーマとして行なわれた。主催は憲法研究者と市民のネットワーク(略称「憲法ネット103」)。
稲村さんは憲法9条と自衛力の問題について、現在の憲法研究者の様々な意見・主張を整理・分類して紹介し、憲法にある平和的生存権を根拠として、それを世界的規模で豊富化してゆくことが課題であると締めくくった。
―「自衛のための実力の保持・行使」に関する憲法研究者の見解を中心にして
稲正樹
いままで私たち憲法学者の間で定説となっていたのは自衛力違憲論です(自衛力禁止説)。最近は9条の枠内で自衛力は合憲なんだという(自衛力要請説)憲法研究者がいます。その間に許容説があり、自衛力許容・消極並立論と積極的許容論があります。また許容論からの違憲方向へ向けた義論があります。
1 自衛隊違憲論
斉藤正彰によれば、自衛力や自衛権は限界があり、政府解釈は無理があるという(浦部法穂)。また、憲法は国家権力を拘束するものであるから、これ(自衛隊・権力)を批判する(毛利透)というもの。我々はおおむねこれらの立場であった。
2 許容説
2-1 許容・消極並立論
9条のプロジェクトという概念で、憲法と政府、そして国民という全体のなかで展開されてきたと理解し、解釈として「合憲とする政府解釈」もなりたつ(青井未帆)という。
2-2 積極許容論-A
「自衛隊が、国会・政府によってそれが合憲であるという前提で設置された組織であり、合憲のものとして社会的に認知され、 通用していることを看過すべきではない」(戸波江二)。
2-3 積極許容論-B
「外国の爆撃機が攻撃の意思を持って領空に侵入する事態」に自衛隊が「やむを得ず反撃」することも「警察とは違う組織による警察活動」として説明しうるという<自衛のための武力行使合憲論>である(木村草太)。なお、憲法13条を武力による自衛の根拠とすることに憲法学では否定的である。
2-4 方向ずけ論-A
軍事力をもつことは違憲となるが「現実の国際政治は、この戦争観を支える担保手段としての国際連合の安全保障理事会とその執行機関である国際連合軍が編制されていないので、各国が有する自衛権の担保手段はもたざるをえず、現在の自衛隊の存在は、暫定的に、内閣法制局の解釈技法によって肯定せざるをえない」(渋谷秀樹)が、軍備廃止の理念を示す法規範がある。
2-5 方向ずけ論-B
9条を国家目標規定と解し、非武装規定としての憲法9条は、わが国の道義を表明したものとして、また、戦後日本の精神的支柱を形成するものとして堅持されるべきだが、現実のものとするために国際社会の形成を目指し、国会決議などの決定をする政治が求められる。(岩間昭道)
2-6 方向ずけ論-C
国民が非武装平和主義で公権力を制約するため、具体的には「相応の時間をかけてその目標に向けて現実を動かしていく」ことが(佐々木弘道)ことが肝要だという。
3 要請説
憲法条文には答えを一義的に定める準則と、答えを特定の方向へ導く力として働くにとどまる原理とがあり、9条は原理として理解されるべきだとする。21条の「一切の表現の自由」の保障という文言が文字通りの意味ではなく原理を定めるにとどまるのと同様、9条2項前段の「戦力は、これを保持しない」という条文も文字どおりの意味をもつと理解すべきでない(「穏和な平和主義」長谷部恭男)という。
これには「憲法9条に対する不完全に理論化された合意」という現状では相対的な問としてある(愛敬浩司)との理解もある。
また、「穏和な平和主義」は歴史を軽視している。「戦争によらざる自衛権による安全保障」という憲法制定者により意図された方向性があり、それがどう国民に受容され、国政に接続されるかという観点が求められる(麻生多聞)という。
4 非武装平和主義を再確認する
佐々木弘通は①敵国家と戦争を行う前、②敵国家との戦争時、③敵国家と戦争を行った後の3局面に分けて、「戦力」を保持する武装国家・日本(「穏和な平和主義」)と「戦力」を保持しない非武装国家・日本(「非武装平和主義」)を比較する。武装国家と非武装国家の両方にとって、①の局面にずっと止まり、②の局面に入らないことが最大の目標である。武装国家は、抑止力を発揮できる「戦力」を持つほうがその目標に適合的であると主張する。それに対して、非武装国家は、一方で、「戦力」を持たないほうが侵略意図の不在を明確にアピールするがゆえに前記目標に適合的なのだと主張する。他方で、非武装国家に対しては必ず侵略を行うほど、現実の国際社会は規範なき社会であるのか、という論点がある。
敵国家が自国に侵略して、②の局面に入ると、武装国家は原則として戦争を行う。その限りで不可避的に規範Yに反する。戦争の結果、③の局面として、自衛戦争に勝利して自国の主権を維持できる場合もあるが、敗北して敵国家の占領に入る場合もある。それに対して非武装国家は、この②の局面に入ると戦争を行わず、すぐに③の局面に移行して敵国家の占領下に入る。②の局面で「国民の生命・財産等」に反する戦争行為を行わないのが非武装国家の特色である。
最後に、③の局面で、敵国家の占領下に入った場合、非占領国・日本の諸個人のプロパティ(生命・財産・自由)がどれほど保全されるかは、占領国=敵国家の統治次第である。占領国の統治のありようという問題とは別に、占領という事態を国際社会がどう評価し、それに対処するかという問題がある。いずれにせよ降伏後は、当該国家・日本に課せられていたに移行して敵国家の占領下に入る。②の局面で「国民の生命・財産等」は、日本国民だった各個人へと、彼らが元来保持していたプロパティ保全の自然権という形で、差し戻される。つまり占領国の統治をどう評価し、それにどう対処するかは、各人次第となる(逃亡、服従、非暴力不服従、暴力的抵抗)。
個人のプロパティ保全を第一目的として考えると、非武装国家は、②の局面だけ見れば、戦争をしない点で武装国家よりも優れており、①の局面にずっと止まり②の局面に入らないという最大目標を実現するために「戦力」不保持がどう作用するか、③の局面に入り敵国家の占領下に入った後、旧非武装国家の構成員がどれほど悲惨な取り扱いを受けるか、この3点の総合評価によって、武装国家との比較優位性の結論がくだされる。(「非武装平和主義と近代立憲主義と愛国心」憲法問題19号 2008年)
5 平和憲法の「原点」の発展的解釈
憲法前文と第9条を基軸とする次のような3つの独創的平和原則にこそ憲法の平和主義の固有の意義がある。
第1平和原則 ⼀切の戦争放棄システムの維持・展開によって国連の平和維持機能を強化することに寄与し、戦争制度を廃止する「戦争非合法化」の普遍的世界平和組織の建設と実効化を目指す。
第2平和原則 わが国における軍縮と軍備撤廃の実行のプロセスと実績を⽰しつつ周辺国際地域そして世界の軍縮実現のイニシャチブをとり促進する。
第3平和原則 日本国民の「平和的生存権」保障の実行モデルを提示しつつ、全世界の国民(人類)がそれをひとしく尊重される「正義」に基づく人類平和「秩序」の建設に努める。
平和的生存権を積極的に位置づける。
<憲法前文が、全世界の国民が平和のうちに生存する「権利」を有するとしたのは、人の平和的生存を、たんに国家が平和政策をとることの反射的利益ととらえる従前の理解から原理的転換を遂げて、平和をまさに権利として把握したことを意味する。換言すれば、この平和的生存権規定は、政府に対しては、軍備をもたず軍事行動をしない方法で国際平和実現の道を追求する平和政策の遂⾏を法的に義務づけ、反面で、国民には、政府が平和政策をとるよう要求し、また⾃らの生存のための平和的環境をつくり維持することを各人の権利として保障したもの、と解することができる。(略)
平和的生存権は、憲法違反の国家⾏為である戦争により恐怖と欠乏を強いられ、傷つけられ、生命を奪われることなく、また世界の⼈々を殺すことのない⽇本政府を持って生きることをすべての人に権利として保障したもので、憲法前文に直接の根拠をもち、第9条と一体となり、第3章諸条項の各人権と結合して複合的に機能する憲法上の基本的人権である。平和的生存権は,現在においてはますます、被害者にならないという片務的なものでなく、加害者にもならないという双⾯的な人権としての意味をもつに至っていることが確認される。>(小林武『平和的生存権の展開』日本評論社・2021年)
むすびにかえて
日本国憲法の平和的生存権は、2016年に国連総会で採択された「平和への権利宣言」をさらに実り豊かなものにしていく指針としての役割を有しており、核の脅威から解放された東北アジア非核化の課題に取り組む上での指針を有している 。
いま新しい戦前の始まりを阻止するために、戦争ではなく平和の道を選択する世論を作り出していくことが大切である。そのためには、第1に、日本国民の近代・現在戦争の経験を確認し、継承していく必要がある。第2に、東アジアにおける和解と相互協力をすすめ、東アジアにおける軍事的緊張の緩和と非核・平和保障機構づくりに取り組む必要がある。第3に、軍隊ではなく⼀般市民を防衛の主体とし、非暴力手段により市民生活を防衛するという安全保障の方法論である「市民的防衛論」を再検討する必要がある。
そして第4に、従属国家化に向かわざるを得ない軍事大国の道ではなく、平和的生存権に嚮導された日本国憲法の国際協調主義の理念は本来的に全人類的広がりをもつという認識をもって、平和的国際協調主義の原点に立ち還ることである。
(報告とレジュメにより構成・文責編集部)
「憲法ネット103」
https://kenponet103.com/archives/1994