天皇の硫黄島「慰霊の旅」反対!総理官邸前で緊急抗議行動

首相官邸前での緊急抗議行動

首相官邸前での緊急抗議行動

4月5日(土)午後6時から、総理官邸前で約1時間ほど《天皇の硫黄島「慰霊の旅」反対!》緊急集会が行われ18名が参加した。

呼びかけは、「沖縄・安保・天皇制を問う4.28-29連続行動」。

司会から、3月29日に石破首相が現職の総理大臣として初めて硫黄島で行われた日米合同追悼式に出席し、「日米同盟を新たな高みに引上げていく」と宣言した。

石破の訪問と連動する今回の徳仁の硫黄島訪問は、戦後の国体(=日米安保体制+象徴天皇制)をアッピールする場ともなる。

天皇は今年、硫黄島を皮切りに広島・長崎・沖縄・モンゴル等への「慰霊の旅」を予定している。天皇制の責任回避と「犠牲者(死者と遺族)」の取り込みを目的としたものだ、と指摘した。

次に、練馬で闘っている仲間、埼玉植樹祭に反対している仲間、天皇制継続のために検討されている「女性皇族」の活動拡大や男系男子の「皇族」増加などの欺瞞制を告発する仲間などから発言があった。

最後に「天皇の硫黄島訪問反対!」「欺瞞的な『慰霊の旅』を許さないぞ!」 「『慰霊』ではなく戦争責任と向き合え!」「天皇制はいらない!」とシュプレヒコールを響かせた。
(文・写真 吉田晃)

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■呼びかけ文
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戦後80年にあたり、天皇夫妻が、4月7日(月)に硫黄島への「慰霊の旅」を行うと発表されました。

アジア・太平洋戦争の末期に、硫黄島では米軍の上陸作戦に対抗して、硫黄島を文字通り「死守」しようとした日本軍には、約2万人の戦死者が出ています(参戦部隊の95%に当たる)。補給も撤退も考慮しない、ただただ(天皇の避難先である松代大本営の建設も含む)本土決戦の準備のためだけの時間稼ぎとして、「玉砕」を強いられたのです。その過程では全島住民の強制疎開も行われました。

戦後も米軍の占領下に置かれ、冷戦期には核爆弾も貯蔵されていました。1968年に施政権が日本に返還された後も、自衛隊(と米軍)の基地として使用され続け、かつての住民は疎開したまま、戦後80年経っても帰島が実現していません(この事実は、南西諸島で準備されている来るべき戦争作戦がどのようなものになるかも示唆しています)。

また2万人近い戦死者の遺骨の収集さえ十分になされていません。

返還 25年の機会として、1994年2月に明仁天皇が訪問した際には、「 祖国のために精根込めて戦った人々のことを思い、また遺族のことを考え深い悲しみを覚えます。今日の日本がこのような多くの犠牲の上に築かれたものであることに深く思いをいたしたく思います」とふざけたことを言っています。

明仁の「慰霊」訪問は、かつての「国体」(天皇制国家)を守るために捨て石にされ硫黄島の戦死者(とその遺族)を、その責任を糊塗するとともに、再び、天皇制国家に回収するためのものでありました。

今回の徳仁の訪問は、そうした明仁を継承し、天皇制の責任回避と「犠牲者(死者と遺族)」の取り込みを目的としたものです。

また前回の明仁の訪問がそうであったように、往復とも自衛隊機を利用した、自衛隊丸抱えの「軍事作戦」のような様相で行われることでしょう。

そうした欺瞞的な天皇のパフォーマンス、そして、天皇と軍事組織との結託を許すことはできません。

さらに先日(3月29日)には、石破首相が、現職の総理大臣として初めて、硫黄島で行われた日米合同追悼式に出席し、「日米同盟を新たな高みに引き上げていく」と述べています。
石破の訪問と連動する今回の徳仁の硫黄島訪問は、戦後の国体(=日米安保体制+象徴天皇制)をアピールする場ともなります。

このようにふざけた徳仁の硫黄島訪問(「慰霊の旅」)に反対の声をあげましょう!

呼びかけ:沖縄・安保・天皇制を問う4.28-29連続行動実行委員会
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プラカードを掲げて抗議をおこなった

プラカードを掲げて抗議をおこなった

呼びかけは、「沖縄・安保・天皇制を問う4.28-29連続行動

行動の呼びかけは、「沖縄・安保・天皇制を問う4.28-29連続行動

首相官邸に向けてシュプレヒコールを叩きつけた 首相官邸に向けてシュプレヒコールを叩きつけた