ひめゆり学徒兵たちの戦争体験を伝える

ひめゆり平和祈念資料館(沖縄県糸満市)

ひめゆり平和祈念資料館(沖縄県糸満市)のウェブサイト
https://www.himeyuri.or.jp/

自民党の西田昌司参院議員は、沖縄戦に動員され犠牲になった女子生徒らを追悼する「ひめゆりの塔」について、「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆり隊が死ぬことになり、アメリカが入ってきて、沖縄が解放されたという文脈で書いてある」「歴史の書き換えだ」などと発言した。これに対しては直ちに沖縄から怒りの声が沸き上がった。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250507/k10014798941000.html

その後は西田議員が謝罪と発言撤回との報道もあったが、本人は自説そのものは否定していない。メディアは安易に表面的なものを垂れ流すのではなく、本質的な批判を追及すべきだが、権力にすり寄ることが恒常化している現状では無理な話か。そんななか、ひめゆり平和祈念資料館の館長の話を聞く機会があった。

5月24日に文京シビックセンター4階シルバーホールで沖縄戦首都圏の会(沖縄戦の史実歪曲を許さず沖縄の真実を広める首都圏の会)の主催で集会が開かれ、「ひめゆり平和祈念資料館のこれまでとこれから」と題して普天間朝佳さんが講演した。

普天間朝佳さん(ふてんま ちょうけい ひめゆり平和祈念資料館館長)

1959年沖縄県生まれ。ひめゆり同窓会が設立し、元ひめゆり学徒が中心になつて運営してきた資料館に1989年開館から勤務。長年元学徒たちとともに働き、次世代継承に取り組む。2018年、初の戦後世代の館長に就任。非体験者の視点で展示会やプロジェクトを企画・実施している。

2001年にひめゆり資料館をリニューアルしました。ひめゆり平和祈念資料館はひめゆり学徒隊の戦争体験を伝える平和資料館。ひめゆり学徒たちが設立し、運営してきた民間の施設。平和学習の場でこれまで2450万人が来館。体験者から非体験者への継承を実現させた施設。

沖縄戦は1945年5月から闘われた90日間の地上戦で、20万人以上が犠牲となりった。十代の生徒たちも動員された。そのなかに「ひめゆり学徒隊」があった。

ひめゆりとは付設付属校の愛称を合体させたもの(沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校)。生真面目な師範生徒と自由で活発な一校女性という生徒たちで、様々なエピソードが伝えられている。いっぽう当時は皇国教育を受けていて、お国のために尽くすことは良いことと教えられていた。

戦争の厳しさは女学生たちに押し寄せてきた。1944年以降は日本軍の飛行場、基地の建設や食料増産に駆り出されていくようになる。

1945年4月1日に米軍は沖縄本島に上陸した。沖縄戦では民衆が米軍・日本軍から被害を受けたことを確認しておきたい。3月23日に米軍の攻撃があり、そこで病院が南風村につくられた。病院といってもトンネルのような穴ぐらの施設で、そこにひめゆり学徒たちは患者たちの下の世話や食事の手伝いのために動員された。

砲弾でひどい状態になった兵隊たちを、ひめゆり学徒たちは怯えながら看護していたが、それが徐々に平気になってくる。平気にならないととても生きていけない。

4月から5月に沖縄中部での激戦があり、沖縄の日本軍の首脳たちは議論して南に下がって戦う方針をとる。5月下旬に日本軍は撤退し、本土防衛のための持久作戦となる。これにより犠牲が拡大することになる。

撤退のときには病院に重症の兵士たちがいたが、米軍に情報が漏れてしまうということで自殺を強要される。抵抗した人はピストルで撃たれたという証言も。このような兵士たちはみな家族がいた筈である。それを忘れてはならない。

南部撤退後は6つの壕に分散し、病院活動は停止となる。6月18日、ひめゆり学徒隊に解散命令が出る。壕を出て逃げろと言われる。8割の学徒隊が解散命令後に死亡した。6月21日に引率教師1人と生徒8人が手りゅう弾により自決する。

自決の背景には捕虜になることは恥だという思想があり、さらに米軍に捕まったら無惨な殺され方をするという風説があった。そんなことになるくらいなら、ということで自殺を選んだ。

生き残った元ひめゆり学徒兵たちが1989年6月23日、ひめゆり平和祈念資料館を開館し、戦争体験を伝える活動を開始し、運営を自分たちの手でおこなってきた。今の課題は体験者の「語り」をどう継承していくか。体験者の語りは迫力があり説得力がある。写真やイラスト・図などの視覚的素材を活用し、証言映像を活用している。自分たちの語りを模索している。

戦後70年以上が過ぎて、これまでの展示では新しい世代に伝わりにくいということで2021年リニューアルをした。映像やイラストを増やし、わかりやすく表現するように心がけた。戦争前の生き生きとした学校生活を伝えることも進めた。今の人と変わらない人たちだったと身近に感じてもらえるだろう。さらに戦後のテーマとした展示を追加した。若い世代に戦争について考えてもらうにはどうしたらいいか。それには主体的で能動的な参加型の学びの開発をしている。ぜひ訪れてほしい。

今、抑止力をつけて軍事力を強化する動きがある、沖縄にミサイルが配備されたり、島からの避難計画がある。沖縄が戦場になったら日本も戦場になるだろう。戦争になったらたくさんの命が奪われる、戦争にならないために過去から学び、考え、声を挙げなければならない。

(文責編集部)

ひめゆり平和祈念資料館
https://www.himeyuri.or.jp/

普天間朝佳さん(東京新聞デジタルより)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/408168

ひめゆり平和祈念資料館のイベント活動(フェイスブックより)

ひめゆり平和祈念資料館のイベント活動(フェイスブックより)