語り合った「わたしの戦後80年」と見えない「戦後」の記憶

国会議事堂前で老若男女がリレートークに耳を傾けた
7月7日は七夕だが、日中戦争の開始となった1937年の盧溝橋事件の日でもある。日本の敗戦から80年となる今年、国会正門の前で国籍や年代もさまざまな人がリレートークで「私の戦後80年宣言」を語るイベントが開かれ、200人が参加した。主催はピースボートなどが参加する実行委員会。以下いくつかの発言を紹介する。
父親が中国戦線に従軍していた黒井さんは、「暴力や戦争ではない、話し合いで紛争を解決する」と力強くと誓いを述べた。
くるみざわさんは祖父が満蒙開拓移民の村長であった。責任を感じて自殺したという。しかし現地の中国人農民を思いやれなかった。その危険は今も大きくなっている。「かってのまちがいを繰り返している」と訴えた。
リレートークでいくつか語られていたのは継続している戦争(戦後)の問題、そして「私たちには戦後がない」ということだ。
たとえば張さんはある経済学者の言葉を引用して「戦後とは日本人しか使わない。アジアの人々にとってはちっとも戦後ではない」という見方を示した。台湾では植民地主義の継続であったと指摘する。
uhiさんはかつて日本人だった朝鮮人は、日本が負けて国籍を剥奪され「これはあらたな差別のはじまりだった」という。そして今は「日本は差別を移民や難民に対しておこなっている」のであり、戦前じゃないから大丈夫ではない。ヘイトは継続していると強調した。
在日3世の朴さんは「ヘイトスピーチを傍観し煽っているのは日本政府で、朝鮮学校の子どもたちを無償化から排除し、朝鮮学校に対しては何をしてもいい、というメタメッセージを発してきた」と語り、日本政府は朝鮮民族から奪ったものとして教育を補償する義務がある、加害の賠償が果たされていないと告発する。
梁さんは「日本は戦後を独占した」という言葉を受け止め、日本軍の性暴力の被害者たちには、戦後にならなかった戦後に想いを馳せた。占領地の被害者の女性たちは戦後とはいえない情況を生きた。このことを知ることだという。
沖縄の大学生崎浜さんは「戦後あったのかな」と疑う。戦争を体験した祖母に「戦後が来るように」「もう沖縄は平和だよ、戦争の影なんか一ミリもないよ、戦後だよ」そう言える日を願って活動し続けると語る。
長川さんは、「戦争の記憶に痛みを憶える人に寄り添いたい。8月に国内外の市民談話を発表する」という。談話の軸としては、ひとりの人間として伝えたいことを考え「暴力や差別」を否定すること。そして石破首相に戦後80年の談話を求めた。
(編集部)
————————————————————————–
■リレートーク参加者
(順不同)
黒井秋夫さん(父親が中国戦線に従軍/PSTDの日本兵家族会・寄り添う市民の会)
くるみざわしんさん(祖父が「満洲」移民事業に協力/劇作家)
張彩薇さん(台湾出身/大学院生)不参加*代読
uhiさん(関東大震災時の朝鮮人虐殺の記憶継承などに取り組む)
朴金優綺さん(在日本朝鮮人人権協会)
梁澄子さん(希望のたね募金)
崎浜空音さん(沖縄出身/大学生)
福島宏希さん(全国空襲連事務局)不参加*代読
長川美里さん(「わたしたちの戦後80年談話」ワークショップ)
矢野秀喜さん(強制動員問題解決と過去清算のための共同行動)
植松青児さん(祖父が広島で朝鮮人「徴用工」を使う土木会社社員/被爆3世)
畠山澄子さん(ピースボート)
奥誠之さん(「Free Ryukyu Island」メンバー)
ソムードの集いメンバー(パレスチナ問題でそれぞれに抵抗を続ける人々の集まり)
アズィーム・アルカマルさん(音楽家)
パフォーマンス
キノコビーツ(沖縄在住、ラッパー)※当日は音声参加
マアルハートバンド(音楽グループ、平和の歌が世界に響けと活動中)

祖父が満蒙開拓移民だというくるみざわさんのスピーチ
