ペダルを漕いで非戦・脱原発・反核の願いを届ける ピースサイクル2025

下総航空基地正門前(柏市)

下総航空基地正門前(柏市)


■自転車には乗らなかったが参加してみた

友人が今年のピースサイクルに参加するという。これまで漠然と自転車好きの方の平和運動なのだろうなと思っていたが、どうやら、それだけではないように感じたので一部だけだが同伴させてもらうことにした。

私の住む鎌ケ谷市も走るようだ。「ピースサイクル2025 千葉ネットワーク(常磐線ルート)」のチラシを見ると、実走スケジュールがあり、7月10日(木)の朝に野田市から出発し、そこから流山市、柏市、そして松戸市に向かう。翌日の7月11日(金)の朝は我孫子市から出発する。印西市、白井市を経て柏市にある下総基地への申し入れ行動を挟み、鎌ケ谷市まで走る。

当方、日常的に自転車を乗り廻しているが、ロードバイクやサイクルウェアなどは所有していない。まあ、それでも少しはサイクル気分で行きたいとは思っていた。しかし、冷静になるとこの暑さだとかなり消耗しそうだ。それでも当初は下総基地まで、普段使っているクロスバイクで行こうかと思っていたが、変速機の調子がよくないことに気がついてあきらめた。まぁ日和見ですが…。

同じ市内の元市議が車で下総基地前の行動に参加するというので同乗させて貰うことにした。下総基地は下総航空基地といって海上自衛隊の飛行場・航空基地である。所在地は柏市で鎌ケ谷市と白井市に隣接している。

下総航空基地は、戦前の陸軍飛行場だったところで「教育航空集団司令部、第3術科学校、 下総教育航空群司令部、第203教育航空隊、第203整備補給隊、下総航空基地隊等多数の部隊が在籍しています。第3術科学校では、主に航空機関係の機体や機器の教育を行い、第203教育航空隊では、P-3C等の操縦士や航空士になるための教育」(下総航空基地HP)をおこなっているという。

たしかに日常的に鎌ケ谷市の空を意外に低空で飛んでいる。前に住んでいた町田市は米軍基地のジェット機などが駅前上空をスレスレに翔び、かなり騒音が酷かった。それに比べると、かなり音は小さいが、やはりうるさい。

そして今、全国の耳目を集めているのがPFAS問題だ。下総基地周辺の地域から有機フッ素化合物の「PFAS」が極めて高い濃度で検出されている。

高濃度“PFAS” 千葉にある海自下総航空基地の排水から検出(NHKnews 2025年3月31日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250331/k10014765911000.html
千葉県の調査で、有害とされる「PFAS」が、下総基地からの排水によるもので、健康被害の未然防止と不安払拭のために流出対策などを基地に求めていくという(下総航空基地におけるPFOS及びPFOAの調査結果について 2025年3月31日)
https://www.pref.chiba.lg.jp/suiho/press/2024/pfos-pfoa-surveys3.html

健康被害についての実態はどうなのか、気になることは多いが、元市議の藤代政夫さんが詳しく調べているのでそのうちまとめてレクチャーを受けようと思う。

そうこうするうちに主役のサイクリストたちが到着。下総基地の正門前で15時20分より申し入れ行動が始まる。
基地からは2名が出てきて監理幕僚へ申し入れ書を読み上げて手渡した。その後は簡単な質疑応答に移り、参加者からいくつもの質問が出された。

PFAS問題については、基地として必要な対応はしていく、明確な関係はわからない、自治体と関係はとっているとした。

飛行騒音、離陸音などかなりうるさいのだが、それについても、承知している、搭乗隊員のための基地でもあるので理解を求める、季節・時期により飛行を控えることもあるという。

飛行スケジュールについてはNHKで報道されている。定期的に自治体へ伝えているという。

地域には基地を見てもらう子ども向けのツアーを開催したり、桜の季節など時期をみて開放する機会をつくっているとも。

川崎重工と自衛隊の架空取引(裏金)問題や、オスプレイは来ないで欲しいなどの質問・意見が出された。現場の人間なので承知しているが「答える立場にない」「その立場ではない」という答えであった。思ったよりもわりと丁寧に対応した印象ではあった。

この後、鎌ケ谷市役所へ移動し、申し入れ行動をおこなった。ピースサイクル千葉ネットの常磐線ルートは、8つの自治体訪問(野田、流山、柏、松戸、我孫子、印西、白井、鎌ヶ谷)するが、基本的質問を設けている。以下列記する。

1.『台湾有事』の宣伝の中で平和施策をどう進めていくのか。
2.コロナ禍の体験を今後の政策でどう生かしていくのか。3.原発への大転換によって、気候危機対策が前進するのか。
4.再稼働を前提とした避難計画が具体化できるのか。
5.関東大震災時の中国人・朝鮮人の虐殺事件から何を学ぶか、PFAS 問題の具体的対処は…。

あらかじめ市への質問を提出しており、その回答を受取ると同時に質疑応答をおこなった。各質問項目にそれぞれ4~10くらいの具体的な質問が付属している。これを回答するのもけっこうたいへんな作業となるだろう。今日の行動は鎌ケ谷市で終了した。全体では約16名が参加した。

1日で4つの自治体を廻るというのはハードな印象もあるが、各地のピースサイクルはもっと長い距離を走るものもある。また行動も日本全体で5月から始まりヒロシマ、ナガサキを挟んで、10月の国会行動と断続的に進行するようだ。分散し、独立した運動のようだが、これまでの流れや全体像などを知りたいと思い。後日、主催者の方を訪ねた。

到着したロードバイクの面々。すかさず水分補給する

到着したロードバイクの面々。すかさず水分補給する


正門前で監理幕僚に対して申し入れ書を読み上げる

正門前で監理幕僚に対して申し入れ書を読み上げる


■ピースサイクル運動のこれまで

この時期らしい日差しの強い昼下がり、松戸駅からほど近いビルの一室にお邪魔した。ピースサイクル千葉ネットワークの吉野信次さん(ピースサイクル全国共同代表)に話を聞く、この運動は今年で40年で、千葉では35年になると話す。

当初、吉野さんは企画は面白いが、若い人のものだと感じたようだ。「1986年夏に大阪の郵政などの若者たちが、広島へ向かって自転車で旅するという企画があった。私はその次の年に、全逓広中支部の方に誘われて交流会に参加した。そこでは若者たちが、旅することで、以前は他人と話すことがなかった自分が変わっていった、と感動的に話していた。そこから私も参加するようになった」

1988年からは大阪から広島、広島から長崎へと広がり、首都圏からの出発も要請された。結果、1989年は約40名が茨城県東海村から丸木美術館へ、そして広島へというルートで走った。

この運動に参加した仲間たちは、それぞれの周辺でこの体験と感動を伝え広げた。そして各地で独自のとりくみが生まれ始めた。吉野さんは1990年夏に事務局長として活動することになった。丸木俊さんのTシャツづくり、マップ作成、米軍基地、自衛隊基地、原発などの申し入れ・抗議行動を企画したという。

そして、ピースサイクルが始まって5年ほどで全国化したが、海外へも旅することができた。それぞれのネットワークの取り組みで、日本帝国主義が先の戦争で、侵略し植民地化したアジアの各地に「謝罪と慰霊の旅」が計画された。

出かけた地域は、中国(東北部と南京など、2回)、韓国(原発や米軍基地)、フィリピン(「慰安婦」問題関連、基地など 10回)、タイ・マレーシア・シンガポール(8回)、ベトナム、台湾(2回)と多岐にわたり、まとめの冊子もつくられた。

吉野さんは国内で5年ほど走り、自転車で走る手応を感じていた。「走っている人に激励があったり、休憩所に差し入れなどがあった。共同通信が取材し地方紙がとりあげて、それで参加者も増えた」と語る。

また、海外でも3度走ったという。「自転車も空輸していたが、移動中のアクシデントで、部位が折れ曲がるなど、いざ走ろうかという時に、走れないこともあった」と語る。「これまでは、北海道でも走っていたが人が減っていて、個別の組合運動ではやりきれなくなってきている」ということで、ほぼ地域の集まりとなっている。

2025年の取り組みは、東海村・東京(5月)、六ケ所(9月)、下北・大阪・岡山・長崎(8月)、千葉・三多摩・埼玉・長野・愛知(7月)、神奈川(5月・6月)、沖縄(6月)、伊方・国会(10月)とそれぞれ各地のグループにより16の行動が実行・計画されている。

千葉では各自治体への質問・要請行動がメインで、自転車走行よりも申し入れの参加者が多いが、これは他の地域と比べると千葉・常磐線ルートの特色のようだ。

特に3.11以降は「各自治体への小中学生の広島・長崎の派遣などの平和の事業の要請をおこなっている」という。地元の市民が声を出していることで、対応や回答が変わってくるという。地域の住民と連携し市民の意見を優先していると強調した。

当初、私は様子見という姿勢でもあったが、今回のピースサイクルを見て、行動自体が地域へ刺激を与えているし、各自治体にも声が届いている。なによりも、それを可能にさせているのが、これまでの蓄積によるものと感じることができた。

(本田一美)

90年代におこなわれたアジア各地でのピースサイクル報告書

90年代におこなわれたアジア各地でのピースサイクル報告書


釜山からソウルまで、韓国ピースサイクルのルート図のページ

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事務局を担ってきた吉野信次さん。現在は農の再生についての政策を検討中

事務局を担ってきた吉野信次さん。現在は農の再生についての政策を検討中