声を上げた日本人「慰安婦」を演じる 「マリヤの賛歌-石の叫び」

一人芝居「マリヤの賛歌-石の叫び」宣伝画像(ネパリ・バザーロより)

日本人の従軍慰安婦であった城田すず子さんの生涯を原案とした一人芝居「マリヤの賛歌-石の叫び」が上演された。7月21日の埼玉・吉川市中央公民館で「三郷吉川ぶんかむら」によるイベントであった。キャストなど当日のチラシから以下に記す。

原案 「マリヤの賛歌」城田すず子
作  くるみざわしん
演出 岩崎正裕(劇団 太陽族)
主演 金子順子(コズミックシアター)

アフタートーク・ゲスト 吉川春子(「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール)

舞台には机と椅子、いくつか板なども見える。そして椅子に座って女優が本を見ている。やがていくつかの文字が書かれた垂れ幕をあちこちに貼り付ける。これは、彼女がこれから受けるであろう事象の名詞なのだろう。

女優は自分の生いたちを語りだす。子どもの頃のこと、父に売られたこと。怖かったこと。脱走して実家に戻ったが翌日は親方が連れ戻しに来ていたこと。遊郭での暮らしのこと。置屋で仲良くなった仲間について、想いを痛みを分かちあうのだった。戦争とともに軍隊の慰安婦となり、南方へと行ったこと…。

女性が躰を張って生きてきたことを演じるのである。

劇終了後はくるみざわしんさんの司会で主演の金子順子さん、そして元参議院議員の吉川春子さんを交えてアフタートークをおこなった。以下紹介する。

吉川春子:「従軍慰安婦」は朝鮮人などの外国人が主として問題とされた。国会議員として活動していたときは政治問題として朝鮮人が対象となったが、ビルマの慰安婦の名簿があり、本籍がわかったのでそれに関して出版した。差し障りがあるので、個人情報が分からない形として出した。

韓国でようやく金学順さんが名乗り出た、というように難しい問題だが、植民地支配の被害、犠牲者でもある。日本人の場合は数が多いのにも関わらず、名乗れないという問題がある。慰安婦被害の法律も8度に渡って出されたが、それは日本人が外されていた。

城田さんは大変なご苦労をされて、療養生活のなかで聞き取りをして手記を1971年に出されている。これに対しては反省が求められる。それで「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナールの活動をはじめた。

金子順子:からゆきさんの問題を思い出した。ちゃんと向き合うことを私に迫ってきた。女性差別、資本主義、植民地主義、暴力がつながっている。特別な話ではないと思う。慰安婦は商売なんだよ、という話には怒りを覚える。

吉川春子:日本人は遊郭から連れてきた。前借金により縛られていて、慰安婦にされてもいいと感じる。まぎれもなく性奴隷なのです。

くるみざわしん:国家が関与している。それを明らかにしないといけない。

吉川春子:兵隊たちには軍人恩給を支払わせる。60兆円が支払われ、彼女たちには1円の補償もない。戦後になってから正業につこうとしたが、売春しか仕事がなかった。城田すず子さんが「コロニー」で生活して、晩年は落ち着くことができて良かった。

日本の法律は、男の買春にはお咎めなしで、18歳未満を相手にした場合は罪がある。買春をなくす法が、人権を守ることを目指すようになったらと思う。
(以上 文責編集部)

以下は安房文化遺産フォーラムの
婦人保護施設「かにた婦人の村」と「城田すず子」>より
一部を転載しました。

千葉県館山市の婦人保護施設「かにた婦人の村」(以下「かにた村」)の丘の上には、「噫従軍慰安婦」と刻まれ、天を突き刺すように建っている石碑がある。

「軍隊のいるところには慰安所がありました…。私たち慰安婦は、からだを洗うひまもなく相手をさせられ、死ぬ苦しみ。なんど兵隊の首を切ろうと思ったかしれません。死ねばジャングルの穴に捨てられ、…私はこの目で見たのです、女の地獄を。戦後40年たって、兵隊や民間の人は祀られるけど、私たちのことは誰も声をあげません。祈っていると、かつての同僚の姿が目に浮かびます。どうか鎮魂の碑を建ててください。それが言えるのは私だけです。こんな恥ずかしいことは誰も言わないでしょうから…」

日本人としてただ一人、このような体験を語った「城田すず子」(仮名)と、社会から見捨てられた女性たちの救済に命を賭けて生きた深津文雄牧師によって建立された石碑は、世の中に大きな波紋を呼び起こした。

(略)
「二度と従軍慰安婦という女性を生み出してはいけない」という願いと、日本人を代表する謝罪をこめて建てられた碑には「噫従軍慰安婦」とだけ刻まれた。「噫(ああ)」というのは「苦しみのあまり、声にならない」という意味をもつ。

韓国で従軍慰安婦問題に取り組んでいた梨花女子大学のユン・ジョンオク教授は、この石碑を定点として日本やアジア各地の掘り起こしを進めていた。その結果を発表した「ハンギョレ新聞」の連載記事は韓国内に反響を呼び起こし、韓国KBSテレビのドキュメンタリー番組『太平洋戦争の魂~従軍慰安婦』制作につながっていった。番組は、すず子の衝撃的な証言から始まり、従軍慰安婦の歴史的事実にふれ、日本各地の慰安所跡を丹念に追った。最後に深津牧師が、「噫従軍慰安婦」の碑の前で建立の経緯と謝罪の言葉を述べ、アジア各地から慰安婦にされた人びとや関係者が名乗り出ることを強く願い、番組をしめくくった。慰安婦であったという城田すず子の勇気ある証言は、「かにた村」から世界各地に発信され、日本国内はもとより、東アジアや世界各国の良心的な人びとの共感を呼び起こし、大きな運動になっていった。

「もし生まれ変われるなら、普通のお嬢さん、普通のお嫁さん、普通のおばあちゃんになって、孫に囲まれて生きてみたいわ」と笑顔で語ったすず子は、1993(平成5)年、71歳の人生を閉じた。内臓はぼろぼろに病んでいたが、安らかな死に顔であったという。2000(平成12)年に逝去した深津牧師とともに、「かにた村」の会堂地下にある納骨堂にしずかに眠っている。
(NPO法人 安房文化遺産フォーラム 代表 愛沢伸雄 2024年4月2日)
https://awa-ecom.jp/bunka-isan/section/paper-010-080-050/

『マリヤの賛歌』城田 すず子(岩波現代文庫)

『マリヤの賛歌』城田 すず子(岩波現代文庫)