日本はユダヤ人やシオニズムをどうみたか 日本帝国主義とユダヤ受容

パワーポイントで講演した
9月24日(水)明治学院大学白金キャンパスにおいてPRIME主催研究会の「パレスチナの植民地化と日本の責任」と題する講演がおこなわれた。主催は明治学院大学国際平和研究所(PRIME)で後援はル・モンド・ディプロマティーク東京友の会。
講師は役重善洋氏。役重氏は同志社大学人文科学研究所嘱託研究員。敬愛大学経済学部非常勤講師。特定非営利活動法人ピース・デポ研究員。専門は、キリスト教史、パレスチナ研究。博士(人間・環境学、京都大学)。著書として、『近代日本の植民地主義とジェンタイル・シオニズム:内村鑑三・矢内原忠雄・中田重治におけるナショナリズムと世界認識』(2018年)など。
国際平和研究所から会の説明があり、さらに後援のル・モンド・ディプロマティーク東京友の会からもあいさつがあった。その後は役重善洋氏の講演。その後は杉原浩司氏のイスラエルに対するボイコット運動の説明や雑誌『地平』についての案内があり、講演者への質疑応答をおこなった。
■役重善洋さん
近代日本植民地主義そしてシオニズム研究にも関わっている。第2次インティファーダが始まったときに、ちょうどその地にいた。誰に会っても日本にこの情況を伝えてほしいと言われた。パレスチナ問題はパレスチナについての見方が変わらないと問題が解決しない。国際社会のあり方が変わらないと難しい。そして日本の立ち位置を考えてきた。
●近代日本の欧米協調主義とアジア主義
井上馨外相は不平等条約を解消して、日本が西洋の帝国主義にならなければならないとしていた(「条約解消意見書」1887年)ちなみに、ヘルツルはパレスチナの土地を、アジアに対する西欧の防御としてつくり、文化を守る任務を語った(『ユダヤ人国家』1897年)。
日本は西欧植民地主義を学びながら国民国家を形成し、イギリスの帝国政策に依存しつつ展開していった。1920~30年代からは自立した帝国主義をめざしていく。
例えば以下2つがある。
近衛文麿「英米本位の平和主義を排す」1918年
ゼエヴ・ジャボティンスキー『鉄の壁』1923年「シオニストは現地の住民を無視して、植民地化をしなければならない」これは今のイスラエルそのものだ。
内村鑑三は「日本の天職」(1924年)でユダヤ人のシオニズム運動に着目して日本になぞらえる。出口王仁三郎はユダヤ人のシオニズム運動を紹介している。その弟子である谷口雅春が新しい教団を立ち上げる(新宗教「生長の家」)。「生命の実相」(1941年)では日本の神々とユダヤ(欧米)の神々との対決・決戦を説く。戦後はいっとき伏せていたが、復活している。
日本の軍部もユダヤ人問題について、ユダヤ人は戦争にたけているから力を借りるべしとの意見もあり(安江仙弘 1934年)、「河豚計画」というユダヤ人を利用する政策がつくられ、満州国への投資を誘うなどが検討されたが、日独伊三国同盟で終焉を迎える。
●戦後日本とイスラエル
戦後日本の中東外交は政治的には親アラブとして展開・推移した。日本アラブ協会(1958年)は元アジア主義者が尽力した。いっぽうイスラエル・ロビーとして手島郁朗が「キリストの幕屋」(1948年)大槻武二「聖イエス会」(1949年)があり、日本の右翼とつなぐ役割を果たしたり、キリスト教と神道の結びつきが指摘される。
日本においてユダヤは経済の黒幕や神秘的な存在として認識されていた。イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人とユダヤ人』(1971年)、藤田田『ユダヤの商法:世界経済を動かす』(1972年)
オスロ合意(1993年)後に村山首相とラビン首相が相互訪問した(1994年)。日本とイスラエルは冷戦後の90年代以降に関係が進んだ。
雑誌『マルコポーロ』事件(1995年)でホロコースト否定論への抗議により国際的なユダヤ・シオニズムの存在という認識、そして歴史修正主義のねじれも生まれる。
小林よしのりは「つくる会にユダヤが入りこんでいる」と主張(2003年)。加瀬英明はイスラエルとの連携を説く(2005年)。また、米国(ブルース・クリングナー)からは日本は安全保障上の観点から歴史認識を見直すべきとの提言もあった(2007年)。
第二次安倍政権成立以降(2012年)は、山谷えり子が日本とイスラエルについて優越的な民族意識を表明する(「超人大陸」2012年)、田中英道がユダヤと日本が一緒だという言説を展開(2019年)。
(文責編集部)
