戦争に向かわせた国家権力への告発 画家・山下菊二の軌跡

山下菊二《転化期》1968年 変形150号 油彩 (日本画廊より)
この3月に中村宏と山下菊二を観ることになろうとは…。ここに池田龍雄を加えると、かつて3人展を開いたこともあるルポルタージュ絵画の仲間だ。
山下菊二は(1919~1986年)戦前・戦後の日本に向き合った画家だ。没後40年ということで1月13日(火)から3月27日(金)まで、日本橋の日本画廊で展覧会が開かれている。
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彼のいちばん有名な作品は《あけぼの村物語》だと思うが、これは山梨県曙村の事件を紙芝居にするために取材した話を一枚の画面の中に構成展開したものだ。事件とは以下のとおりだが、ペンキ絵のような平面的描写で複数のイメージが重なり共鳴しているようで、土俗的で不思議な絵だ。
「以前から共産党などを弾圧してきた山林地主が、林道建設委員会の計画を無視して自分の持山をつなぐ案を勝手に県庁に提出したため、五十数名の村民が抗議に向かった。しかし本人は逃亡したため引揚げた村民たちの中の共産党員や活動家一〇名が強盗傷人の冤罪で逮捕され、他に一名が消防団に襲われて殺されてしまった」「前後に、農道のために貧農の麦畑が取られる前哨事件や、一人が溺死した連鎖事件があり、さらに歴史的因襲として差し押さえや銀行倒産により老婆が首つりをした過去があった」(鳥羽耕史『1950年代 「記録」の時代』河出書房新社 2010年)
山下菊二については戦争体験が大きいだろう。彼は戦前から画家を目指し「洋画家・福沢一郎の絵画研究所に入る。福沢の影響のもと、ダリ、エルンストなどシュルレアリスムに傾倒。40年から美術文化協会展に出品し、受賞も果たす。44年から49年まで、東宝映画教育映画部に勤務し、その間、応召による戦場体験、さらに戦後最大の労働争議と言われる東宝争議を経験した。戦地での残虐行為に加担せざるを得なかったことは、後の山下の制作に大きな影を落とす。」(「美術手帖」より)
彼が戦時中に召集されて、中国大陸で経験したことは想像するしかない。戦後に日本共産党に加わり山村工作隊にも参加する要因となったろう。農民兵を描いたスケッチなどは残されてはいるが、多くはない。
「暴殺状況に直面しながら、何等の抵抗もなし得なかったことに対する自己啓発と、国家権力への告発を持続的に追求することによって、〈戦争告発〉をわがライフ・ワークとしなければならないと考えています」(山下菊二「命と金鵄勲章が天秤に」『月刊絵本』1975年8月号)
ちいさな画廊で、展示数も多くはないが、戦前にシュルレアリスムに影響された《人道の敵米国の崩壊》(のちに「日本の敵米国の崩壊」と改題)がある。これは戦争画といえるものだが、当時は異質だったろう。思想はおそらくは日本の立場なのだろうが表現は独自のものがある。戦後も表現手法を継続しているが、戦争体験による「転回」があった。そして、戦争と天皇とを描いていく。また社会的告発を表したものに《戦争と狭山裁判シリーズ》(1976年)がある。画廊のテーブルに画集が置かれているので山下菊二の軌跡を確認してほしい。
(本田一美)

《戦争と狭山裁判シリーズ》(1976年)。中央に中国人と日本兵らしき写真がコラージュされている(美術情報2017-2025 より)
https://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress013/
山下菊二展 開催のお知らせ(日本画廊)
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《人道の敵米国の崩壊》1943年(のちに「日本の敵米国の崩壊」と改題)

ビルの一階に面した日本画廊。実は毎年夏に所持している山下菊二の絵を展示しているという
