砂川闘争 蒸気機関車 セーラー服「中村宏 アナクロニズム(時代錯誤)のその先へ」の旅

静岡県立美術館に入る手前の看板
●早春の東海道本線~鉄路を西へ!
2026年3月8日、静岡県立美術館で開催中の企画展「中村宏 アナクロニズムのその先へ」を見に行った。美術館の最寄り駅・草薙駅まで品川駅から東海道本線在来線を乗り継いで約3時間の鉄路の旅。快晴で車窓からは雪で覆われた早春の富士山がよく見えた。
2026年1月26日~3月15日まで開催された本展は画家の70年間にわたる創作活動の成果、約200点の作品と関連資料を展示した集大成とも言える大規模回顧展だ。惜しくも中村宏(1932~2026)は開催直前の今年1月8日93歳でこの世を去った。入り口には遺影と美術館からの追悼文が掲げられていた。
最初期の自画像、ルポルタージュ絵画運動時代の代表作「砂川五番」から、セーラ服少女と蒸気機関車をモチーフにしたタブロオ群、2020年代の近作「空襲1945」まで、また書籍・雑誌の装丁・挿画、表紙絵、舞踏家・土方巽との交流を物語るポスターなど膨大な作品が展示され、「中村宏」漬けの一日となった。展覧会終了間際で図録が売り切れていて買えなかったのが心残りだったが、これほどの大規模展が開催されるのはいつのことかと考えると、とにかく見ることができて良かった。その余韻はまだ続いている。
中村の絵画と向き合うときに絵から放たれる圧倒的なパワーはどこから来るのだろう?
まず絵画表現の超絶な巧みさ、技法の完成度の高さだ。モチーフが秘めた存在感、その組み合わせの衝撃度。中村の絵画はいくつもの謎を秘めている。
●砂川闘争、安保闘争~反基地反戦の運動の現場から
会場に入ると「砂川五番」が目に飛び込んできた。
1950年代、中村宏はルポルタージュ絵画運動に身を投じる。アトリエにこもって裸婦を描くような従来の画家修行でなく、基地反対運動や60年安保闘争の渦中にみずからを置き、社会の現実をルポ(記録)する運動としての絵画作品を創り出す。
その代表作が砂川闘争(米軍立川基地拡張反対運動)を闘う農民を描いた「砂川五番」(1955年)だ。座り込みをする農民たち、排除しようとする警官、警察車両、背後の基地の米軍輸送機が描かれ、この作品と共に本作を描くための現場のスケッチや習作も展示されている。丁寧に現場を再現するルポルタージュとしての絵画なのだが、写実一辺倒でもない。警官を睨む農民たちの目は生き生きと描かれているが、警官の目は閉じているか、そもそも描かれていない。また、画面中央には黄色の袈裟を着て太鼓を持った日本山妙法寺の僧侶が小人のような現実離れしたサイズで描かれている。日本山妙法寺の僧侶は砂川闘争でも大きな役割を果たしたと言われるが、その後の反戦平和の運動の現場でも今なおよく見かける存在だ。写実的な絵ではないが、運動の現場の緊迫感、リアルを伝える傑作となっている。
この頃、中村はサイレント映画『戦艦ポチョムキン』を見て感銘を受ける。帝政ロシアの黒海艦隊の旗艦ポチョムキン号で起きた水兵の反乱を題材にした映画。この反乱は1905年腐った肉を食事に出すなど劣悪な待遇に対して水兵たちが起こしたもの。ゼネストに決起した労働者・農民に呼応してオデッサ港の民衆が共に闘いロシア革命へと連なる布告となった。エイゼンシュテイン監督がモンタージュ理論を確立した映画としても知られる。モンタージュ理論は複数の場面を編集技術で次々に映すことによって登場人物の感情や場面のスピード感を表現する映画作りの基本とされる技法。この技法は殺された水兵の死を悼むために集まったオデッサの民衆を表現するために港の岸壁にどこまでも続く人々の列、治安部隊の発砲に散り散りに逃げ惑う民衆の緊迫感が乳母車がり落ちるシーンなど随所に見られる。この映画に感銘を受けた中村はモンタージュ理論を絵画表現にも応用しようと試みる。映画は時間的流れでこの技法を使えるが、絵画は一つの平面で表現せざるをえない。そこで絵の中に複数の場面をコラージュする技法を考え実践するようになる。
「砂川五番」では座り込む農民を排除しようとする警官の腰に吊るされた拳銃が描かれている。拳銃や機関銃、自動小銃は「基地」、「射殺aching」(1957)、「戦争期」(1958)、「革命首都」(1959)などにも登場するが、いずれも戦争や権力の冷酷さ、残酷さをイメージさせる。

会場内の入り口には遺影と美術館からの追悼文が掲げられていた

初期の砂川闘争(米軍立川基地拡張反対運動)を闘う農民を描いた「砂川五番」(1955年)
●呪物としての蒸気機関車
3月8日は講堂で館長・木下直之氏による「館長美術講座」があり、講演を聴くことができたのも収穫だった。「浜松のひと中村宏 セーラー服と蒸気機関車」と題した講演は中村宏の絵画をより深く鑑賞する手掛かりになる貴重な内容だった。
中村宏は静岡県浜松市の生まれ。木下館長も同郷ということでリスペクトと愛情を持って中村を語っていた。
浜松は国鉄浜松工機部のほか工場(織物、楽器)が集まり機械と道具類がいたるところにある街だった。中村と言えば蒸気機関車というくらい多くの作品に登場する。「国鉄品川(1955)、「内乱期」(1958)、「蜂起せよ少女」(1959)、「観光帝国」(1964)、「円環列車A-望遠鏡列車」「円環列車B-飛行する蒸気機関車」(1969)など数えきれないほど描かれている。幼少期から浜松駅に蒸気機関車を見に行き、十代の頃は鉄道模型に熱中、模型店に通う日々を過ごしていた(講演レジュメ)。
蒸気機関車とは何か?
それは物体=鉄の塊であり、機械であり、そして呪物である。
《☆機械は呪物である。
☆フェティッシュ即ち呪物は「覚醒する物質」であり、フェティシズムは「覚醒的物質学」でなければならない。
☆物体は自覚化される時、呪物へ転位する。この時、呪物は観念活動の飛躍と全く同一に活動し、飛躍する。呪物と観念は双生児よりさらに近似的であり、紙の表裏のごとく不可分である。観念は物体なくしては生まれ得なかった。観念はさらに次なる呪物を生み続ける。(略)
☆レオナルド・ダ・ビンチ及び稲垣足穂の「飛行機」と、G・スチーブンソンの「蒸気機関車」及びC62形ハドソン蒸気機関車は天空と地形を無限に切る地平線の呪物である。》
「機械学・命題」(中村宏)より~『機械学宣言 地を匍う飛行機と飛行する蒸気機関車』(稲垣足穂との共著、1970、仮面社)
フェティシズムは「呪物崇拝。人工物あるいは簡単に加工した自然物に対する崇拝を総称していう」(「哲学事典」、1971、平凡社)。「原始宗教の1形態で、木片、石などに霊力があるとして拝み、災い、病気から逃れようとするもの。」(「カタカナ語辞典」三省堂、2020)。
巨大な黒い鉄の塊(機械=物体)が鉄路を疾走するのは驚異だ。輸送手段としては第一線を退き、博物館で保存されるか観光用として走るのみになってしまったが、その勇姿は今なお鉄道ファンや子どもたちのみならず多くの人々を惹きつけ霊力を維持している。
歴史的に見れば産業革命は蒸気機関の発明によって起こり、蒸気船や蒸気機関車の登場によって工業と交通が発展し資本主義が世界中に広がる原動力になった。資本主義の爆発的発展とともに帝国主義の世界分割が進行、鉄道敷設権をめぐって世界戦争(第一次世界大戦及び日本帝国主義のアジア侵略、第二次世界大戦)が勃発するという流れを見ても蒸気機関車が人類史に果たした役割は大きい。
戦後期は国鉄労働運動が大きな力を持っていた時代で蒸気機関車は労働運動の象徴的存在としても想起される。これらが相まってフェティシズムの対象となり、観念活動の原動力=呪物となる。
●「蜂起」を幻視するセーラー服少女
1960年代中頃から「観光帝国」(1964)、「修学旅行」(1966)、「円環列車A-望遠鏡列車」(1969)、『現代詩手帖』の表紙絵(1969)などにセーラ服少女が登場する。
セーラー服とは何か?
館長の講演で知ったのだが、中村は祖父が創立し祖母が校長を務めた浜松高等家政女学校の創業一族であり父母もその学校の経営者、教員だった。前身は浜松洋裁女学校(1903)、浜松高等裁縫女学校(1922)、その後、浜松高等家政女学校(1928)、浜松信愛女学校(1941)、信愛高等学校(1948)を経て、現在は男女共学の浜松学芸中学校・高等学校となっているという。生家は学園の敷地内にあり、女学校は1929年にセーラー服の制服を導入。1932年生まれの中村はセーラー服の少女に囲まれて育ったと言っても過言ではない。
「四世同堂」(1957)は校長だった祖母の肖像が大きく描かれ周囲には葬儀の光景や建物、一族や関係者と思しき人々に囲まれている。97.3×182.2の大作で不気味さを醸し出しているが校内に飾られていたという(現在は撤去)。
《セーラー服というのは私にとっては画一化あるいはリフレーンのイメージが強くて少女とかエロとかじゃないのですが。制服、軍隊の時代を私、知っていますから。制服って言ったら、画一的、縛られた状態。体験としても、私は幼い頃セーラー服をよく見てましたんで》『応答せよ!絵画者 中村宏インタビュー』(中村宏著、嶋田美子編、白順社、2021)
中村の絵にセーラー服少女が登場するのは1963年の「観光帝国」からだが、それに先立つ1959年には「蜂起せよ少女」では詰め襟の学生服姿の少女が描かれている。画面いっぱいに蒸気機関車が描かれ車窓から少女がこちらを見つめている。よく見ると少女の前後側面には手のような足のような突起が伸び、背後には階段が見える。階段のイメージは「階段にて」(1969)にも描かれているが「戦艦ポチョムキン」でオデッサ市民が蜂起した水兵たちに連帯のエールを送った階段のイメージを想起させる。蒸気機関車の向こうには天守閣が幾重にも連なる日本風の城が聳えている。自作「城」(1956)のコピーだが不条理で満たされた国家権力の象徴、カフカの『城』の日本的表現にも思える。この城はプラカードや旗に包囲されている。しかも蒸気機関車の前には黒と黄色のストライプ「立入禁止」の標識がクロスして描かれている。蒸気機関車は「標識」や「城」を突破するように爆進している。
当時、デモに参加する学生は男子学生ばかりでデモスタイルも学生服姿が多かったという。砂川闘争、ハンガリー動乱、新左翼(共産主義者同盟)の登場、60年安保(日米軍事同盟確立)前夜という当時の社会情勢を考え合わせてこの作品に向き合うと少女が蜂起を呼びかける反体制の象徴のように思えてくる。一つ一つの要素はアナクロニズム(時代錯誤)かもしれないが、それらが一体となって表現するものは現在までを貫く射程を持っていると感じるのは私だけだろうか。
学生服少女は1960年代になるとセーラー服少女となり(「観光帝国」1963)、やがて一つ目セーラー服少女の大作「円環列車A-望遠鏡列車」(1969)、「円環列車B-飛行する蒸気機関車」へと大化けする。
《この少女のモチーフを一つ目にするというのは、内乱から喚起されるイメージと言うんでしょうか、要するに奇人異人―内乱に向かうかたちはグロテスクになってもいいかな、といったことを考えていました。》『応答せよ!絵画者 中村宏インタビュー』(中村宏著、嶋田美子編、白順社、2021)
《これは化け物になってしまったという意味で、私よく初心に帰るんですけどね、「蜂起せよ少女」という絵については先ほども出ましたが、ここで人物は違いますが、蜂起せよ少女ということをもう一回やってみようかと。この絵を描きながら思いました。単純な化け物化することによって蜂起につながるような人間としてではなく。蜂起は反権力の行為ですから、そのときは善良な市民ではないですよね、そのイメージもからんでいます。これは六八年ですから、五〇年代の少女が六八年には化け物じみて蜂起していることですよね、そのイメージもからんでいます》同前
中村は一つ目セーラー服少女の誕生をこのように振り返る。鑑賞者を見つめる少女の目は一つ目になることによって、「見られている」という感覚がより強く訴えかけられているように感じる。化け物じみた一つ目セーラー服少女が絵画だけでなく雑誌の表紙やポスターを飾る。1967年~70年とはどんな時代だったか?
日本国内では1967年10.8第一次羽田闘争、1968年米原潜エンタープライズ寄港阻止佐世保闘争(1月)、王子野戦病院闘争(1月)、三里塚で反対同盟・全学連が機動隊と激突(2月、3月)、日大闘争(4月~)、東大闘争(6月~)、10.21国際反戦デーで騒乱罪適用(10月)、1969年東大安田講堂決戦(1月)、全国の大学がバリケード封鎖され、週末の夕刻には新宿西口地下街にフォークゲリラの反戦歌が響いていた。世界に目を向ければベトナム戦争の激化、アメリカではベトナム反戦運動の全国への拡大、フランスではパリ五月革命と世界中が騒然としていた。
これらは「政治の季節」としてくくられるかもしれないが、政治だけが突出していたわけでない。唐十郎率いる状況劇場の赤テントが空き地や寺社境内で上演され、そのポスターを横尾忠則、赤瀬川原平らが担当、漫画では『ガロ』誌上でつげ義春「ねじ式」、白土三平「カムイ伝」が衝撃を持って読まれ、ラジオの深夜放送で「帰ってきたヨッパライ」や「イムジン河」がリクエストされ、バリケード封鎖された大学では山下洋輔のフリージャズが鳴り響く。文化状況もまたラディカルに変貌を遂げていた時代だった。
1969年当時高校2年生だった私は文芸部に所属する詩を書く少年だった。現代詩をカッコよくてメチャクチャ面白いと感じたのは『現代詩手帖』の中村宏が描く表紙絵のせいだったかもしれない。中村宏は間違いなく時代を代表するするラディカルな表現者の一人だった。
1970年代以降も「似而非機械」(1971)、「HUDSON-C62」(1971)、「車窓篇」シリーズ(1978~1981)、「タブロオ機械」シリーズ(1986~1996)、「図鑑」シリーズ(2006~2009)などで絵画表現を探究し続けた。
中村宏は没し中村宏展は終わった。とはいえ静岡県立美術館のホームページで主要作品のいくつがアーカイブされているし2021年に美術館で行ったインタビューの動画も見ることができる(2026年3月25日現在)。またネットで検索すればこれ以外の作品、インタビューも視聴可能だ。画集もあるので図書館などで見ることができるかもしれない。中村宏が去ったこの時代、どのように考え、どのように行動するのか、化け物じみたセーラー服少女に私たちはずっと「見られている」のだ。
(丸田潔)

中村宏《円環列車・B-飛行する蒸気機関車》 1969年 東京国立近代美術館蔵
静岡県立美術館
https://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/exhibition/detail/127
