ベルリンの「平和の少女像」をめぐって…根本はどこにあるのか

ベルリンの「平和の少女像」

<ベルリンの「平和の少女像」を巡る騒動 その「温度差」について考えてみる>(朝日の記事写真より)https://globe.asahi.com/article/13866337

2020年9月28日にドイツ・ベルリンの公有地に設置された「平和の少女像」を巡って、日本政府は不適切だとしてドイツ政府に撤去を要請し、ドイツで論争となっている。

「ドイツ・ベルリンのミッテ区議会が、「平和の少女像」(写真)の撤去命令を撤回するよう決議案を採択した。これにより、少女像は当初通り、来年8月14日までに現在の位置を維持する可能性が高まっている。」

(「東亜日報」2020年10月9日)
https://www.donga.com/jp/Search/article/all/20201109/2236141/1/

この問題についてジャーナリストの江川紹子氏はネットの連載記事で「諸々の違和感があって、私自身はこの像が撤去されることを望んでいる」「その一方で、この問題について、日本政府には慎重な対応をしてもらいたい」と書いている(Business Journal:2020.10.27)。
https://biz-journal.jp/2020/10/post_187256.html

その理由として「この像ができて以来、日韓で人々の反感や不信、憎悪はむしろ膨らんでいる。原因は慰安婦問題だけでないが、それによる両国の感情的なぎくしゃくや対立は根深い」「それに、ドイツを訪れた時に、この像に出くわすようなことになったら、きっといい気持ちはしないだろう、とも思う」と書いている。

まず、この「少女像」が旧日本軍の慰安婦問題のシンボルと機能してきたことについては事実だし、また昨年のあいちトリエンナーレ2019で少女像が出品された「〈表現の不自由展・その後〉中止事件」とも共通する問題だろう。

ベルリン・ミッテ区としては<地域の調和を損なわないために「国同士の歴史的対立について、特定の立場を取るのは慎まねばならない」>というが(朝日globe:2020.10.28)、公共のあり方としては妥当な立場ではある。

しかし、ユダヤ人への差別・迫害を経験したドイツだからこそ女性への差別・虐待である慰安婦問題の「少女像」を設置しなければならないとも思う。また虚心にみれば女性の立場からの像としても普遍性のあるモニュメントだろう。
https://globe.asahi.com/article/13874777
https://globe.asahi.com/article/13866337

<日本政府はくれぐれも慰安婦問題は「解決済み」であり「終わったこと」という態度を示さないようにしてもらいたい>

江川氏はこう書くが、歴史と現状を正確に認識しているとはいいがたい。江川氏は大沼保昭氏の「アジア女性基金」の立場を借りて正当化しようとしているが、残念ながら当の「アジア女性基金」が失敗したことに気づいていない。また、歴史認識や戦争責任についても考察はなく、下記の経過のみに依拠するだけである。

日本も、戦前のことについて、反省や償いをしてこなかったわけではない。慰安婦問題についても、1992年に宮澤喜一首相が謝罪し、1993年には「河野談話」で、政府としての「心からお詫びと反省の気持ち」を表明。1994年にも村山富市首相が、慰安婦問題は「女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であるとして、「心からの深い反省とお詫びの気持ち」を語った。村山首相は翌年にも同趣旨の謝罪を述べ、「女性のためのアジア平和国民基金」(女性基金)の設置を発表した。

 この女性基金は、一人200万円の償い金は国民からの募金で国家賠償という形はとらなかったが、原資が不足した場合は、政府が国庫から補填することが決められていた。さらに、医療・福祉支援事業として政府拠出金(韓国人には一人300万円)からのお金が渡されることになっており、事実上、国家としての償い事業だった。

事実としては<1992年に宮澤喜一首相が謝罪し(略)村山内閣の時の「女性のためのアジア平和国民基金」創設>という流れが、今ではむしろ真逆となり見直す方向に向かってきたのが問題なのだろう。

「被害者のケアと世界における戦時下性被害の再発防止。日本がそのために誠実に努力する姿勢を示すことが、誤解を招く像設置への何よりの対抗手段であり、日本の品位と尊厳を守る道ではないか」と書いているが、これまでの安倍元首相や日本政府の動きは、それこそ「誤解」を招き「品位」と「尊厳」を捨てた動きだったろう。

一例を挙げれば、「政府は3月28日の衆院外務委員会で、自民党の杉田水脈(みお)氏(50)に対し、平成28年2月に行われた国連欧州本部(スイス・ジュネーブ)女子差別撤廃委員会の対日審査で慰安婦の「強制連行」などを否定した外務省・杉山晋輔外務審議官(当時、現駐米大使)の答弁が政府見解だと明確にした」(「産経新聞」2018.4.9 )とにあるように、自民党の杉田水脈議員が国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会で「慰安婦の強制連行はない!」とスピーチしている(当時は落選中)。そんな活動が、安倍晋三に重用・評価されてきたのも公然たる事実だ。
(「文春オンライン」2020.10.12)
https://news.yahoo.co.jp/articles/89a1058717ba6d31e32042fc868cd2cd34b4fee0

また、これまでの安倍元首相の思想自体も「戦後レジームからの脱却」を掲げ、「憲法改正」主眼として活動してきた。これにより、戦争責任・植民地責任を否定する右派から支持されて、長期政権を維持してきた。閣僚や政府関係者も同様の考え方の人間を増やしてきた。典型的な「歴史修正主義」なのだが、結果としてマスコミの含めて、こういう思想が日本国内に蔓延した。昨年からの日韓のぎくしゃくについても根はそこにある。

もっぱら欧米に顔を向けた物言いなのも気になる。「国際社会のなかで一定の存在感を放っていた安倍首相である。彼がなんらかの象徴的な対応をし、それがきちんと伝えられていれば、欧米を含めた国際的な日本の評価は大いに違っていたのではないか」と書くが、近隣のアジアの人々にきちんと向き合うのが基本ではないのか。

私は江川氏がいうような「ベルリンの少女像を撤去させ」たい、とは思わない。そもそも銅像とは特定の人物や歴史、事件、思想などを記念して、人々の記憶に留めることを目的にした作品であり、モニュメントなのだが、そこには支配者の思惑や論理が混入していることがしばしばある。

例えば米国での黒人暴行事件をきっかけとして、奴隷制や人種差別を象徴する歴史上の人物を撤去しようとする動きがある。またソ連崩壊時にもレーニン像が撤去されたり、イラク戦争時にフセイン像が倒されたり、ということがあった。

NHKの解説「相次ぐ銅像の撤去 歴史とは?」では、珍しくまっとうな見方をしていて「韓国では認識が異なります。(略)朝鮮に2度出兵した豊臣秀吉は侵略者と見做されています」と記す。

また、覆面画家として知られるバンクシーの提案として「抗議する人達の銅像もつくって一緒に設置すれば双方が納得できるのではないか」を紹介している。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/431651.html

これに倣えば、「少女像」と「撤去しようとしている日本政府」の像をふたつ並べてみてはどうか? というものだ。むしろそのほうが問題の現状を深刻に訴えることになるような気がするが、どうだろう。
(本田一美)
平和の少女像
https://globe.asahi.com/article/13874777

■参考
《平和の少女像》(正式名称「平和の碑」)の作者は、韓国の彫刻家キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻で「民衆美術」の流れをくむ作家です。民衆美術とは、1980年代の独裁政権に抵抗し展開された韓国独自のもので、以降も不正義に立ち向かう精神は脈々と継承されています。
本作は「慰安婦」被害者の人権と名誉を回復するため在韓日本大使館前で20年続いてきた水曜デモ1000回を記念し、当事者の意志と女性の人権の闘いを称え継承する追悼碑として支援団体・韓国挺身隊問題対策協議会(現、日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)が構想し市民の募金で建てられました。(「《平和の少女像》(平和の碑)の願い」より)
https://note.com/otsukishoten/n/n606885fbc3b2