歴史は消せない-飯田市平和祈念館の731部隊展示をめぐって
2022年5月、長野県飯田市に平和祈念館がオープンした。しかし市民から祈念館に寄せられた戦争の遺品や証言のうち、県内出身の元731部による「証言パネル」等の展示が拒まれていると、信濃毎日新聞などが報じた。
731部隊の展示については市の教育委員会が、「事実関係確認が確認されていない」として展示を見送っていた。その論拠としているのは「外務省、防衛庁等の文書において、関東軍防疫給水部等が細菌戦を行ったことを示す資料は、現時点まで確認されていない」という小泉純一郎首相名の「政府答弁書」(2003年)だ。
これについては、日本軍が細菌戦を行った証拠や証言はさまざま積み重ねられている。その一つに中国の被害者たちが、1997年に日本政府に謝罪と賠償を求めて日本の裁判所に提訴した「細菌戦裁判」で提出された証拠資料、日本の研究者による鑑定等がある。東京地裁は2002年8月、731部隊などの防疫給水部が生物兵器の研究・製造を行い中国各地で実戦使用し、常徳での7643人を筆頭に約1万人の死者を出したことを認定し、この事実は2007年の最高裁判決で確定している。
新聞報道に戻れば、資料を収集してきた市民や、証言の展示を了承してきた元731部隊少年隊員の清水英男さん(92歳)たちは、「割り切れない思いでいる」という。また、市の対応にも市民や研究者などから批判や要望が相次いだ。
さらに、2023年1月29日に市民有志が「飯田市平和祈念館を考える会」を発足させ市内で結成集会を開いた。集会では被害と加害の両面を複雑に併せ持つ戦争の実態を未来に伝えようと、展示を求めていくことが確認された。
それに先立つ1月17日には、飯田市の市教育委員会は市民らから寄せられた意見を踏まえ、パネルの展示を含め内容や活用方法を検討する「市平和祈念館展示・活用検討委員会」を月内にも発足させる方針を示した。そして2月21日に検討委員会の初会合が開かれた。
これについては注目度は高くNHKやTBSなどで報道が続いた。それによると、「パネルや解説がないと内容がわからない」(TBS newsDIG)との意見もあった。
https://newsdig.tbs.co.jp/
<飯田市歴史研究所の研究員の田中雅孝さんは「731部隊について説明がなく、さまざまな誤解を生む可能性がある一方、残虐的な内容も含まれるので教育的な立場からも考えなければいけない」と話していました>(NHK 信州 NEWS WEB)という。
4月16日に「飯田市平和祈念館を考える会」は第2回学習会を開き地元出身の元隊員胡桃沢正邦さん(1913~93年)が1991年、市内で開かれた「平和のための信州戦争展」で約1時間半にわたり体験を証言した時の録画映像を視聴した。映像内で胡桃沢さんは300体の人体解剖に関わったと証言し、日本の軍隊の理不尽な在り方や戦争を知らない子どもたちに聞かせようという思いを語っていた。
考える会の唐沢慶治会長(79)は、胡桃沢さんが戦後長く体験を誰にも話せなかったとして「証言の展示がなければ、身を切るような痛切な思いは伝わらない。展示を引き続き求めたい」(「信濃毎日新聞」2023年4月18日)
あらためてこの平和祈念館に結実してゆく流れを整理してわかったことがある。「平和のための戦争展」が長野県内で持ち回りで開催され、2022年で33回を数えるという。それだけの蓄積のなかから平和の想いが創られてきたのだと理解できる。
そして具体的には久保田昇さんという戦争資料を収集している方が、元731部隊隊員の胡桃沢さんに出会い、彼が関わっている「平和のための戦争展」で証言してもらったと語っている。さらに書籍や解剖器具などの関係資料も提供してもらっている。また、飯田市自体も「戦争展」に対して協力的で、共催もしているという。それだけに久保田さんにとっては飯田市の対応には裏切られた、という気持ちが強いのだろう。
平和祈念館の展示内容などを検討する委員会が発足し、市の教育委員会が意見に対応せざるをえなくなったのは、市民のはたらきかけによるものだろうし、多くの声が寄せられた成果だろう。これからも事態を注視してゆくと同時に、加害の過去を忘れないという認識や平和をつくる運動の大切さを確認した。
(本田一美)
■参考
飯田市平和祈念館 「731部隊」どう伝える(NHK長野WEB特集 2023年03月16日)
https://www.nhk.or.jp/nagano/lreport/article/000/61/
飯田市平和祈念館が元731部隊員の「証言」パネルの展示を見送り
代表名で再考を要請
https://war-medicine.blogspot.com/2022/10/731.html