日本軍が戦時中に製造し 中国で使った毒ガスの実態を学ぶ

毒ガス展会場。展示パネルに惹きつけられる人たち
「日本軍の毒ガス展」が5月2日(火)からかながわ県民センター1階展示場ではじまった。
日本軍が戦時中に製造し、中国などで使った毒ガスの歴史や被害についての展示「日本軍の毒ガス展」は5月2~6日、かながわ県民センター(横浜駅)で開催中だ。主催は毒ガス展実行委員会、共催は記憶の継承を進める神奈川の会。
日本の陸軍は戦時中に広島県の大久野島で毒ガスを製造、福岡県の曽根などで毒ガス兵器にして、中国各地で毒ガス戦をし、海軍は神奈川県の寒川で毒ガス製造をおこなった。(チラシより)
今回の展示では、毒ガス製造の過程や中国における毒ガス戦の具体的資料、当時の写真も展示している。そして敗戦時に日本軍はその毒ガスを現地中国で遺棄した。また、日本国内でも遺棄された。そのため工事などで掘り出された毒ガスに触れて被害にあったなどの事故が起きている。それら被害者は今、現在でも苦しんでいるが、日本政府は公式な謝罪と補償をしていない。その中国での被害者を写した写真も展示されている。
なお、5日まで展示会会場奥で講演会が14時より開催される。5月2日、初日の展示会場では、三光作戦調査会の中川寿子さんが「日本軍毒ガス作戦の惨劇、河北省北坦村を訪ねて」と題して講演。あいにくの雨だが会場いっぱいに聴衆が集まった。
表題についてだが、日中戦争時、日本軍が河北省の北坦村を攻撃し地下坑道に隠れていた村人へ毒ガス作戦をしかけたもの約千人が殺されたというもの。
中川さんたちは河北省の北坦村へ訪れて村人たちに戦争当時の話を聞いたり、家の内で具体的な様子を再現してもらったりしたという。現地での取材の実際の映像も交えて生々しい話を聞けた。
(本田一美)

中国で戦後発掘された毒ガス弾

朝日新聞が報じた731部隊の毒ガス実験の記事(1981年11月27日)

河北省北坦村での毒ガス戦の証言。李徳祥(村民)と上坂勝(第110師団163連隊長)

左のパネルは2002年に寒川でおきた毒ガス瓶の被災事故
第7節 国内における毒ガス弾等に係る対策(環境省)
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h30/html/hj18020507.html

右は現在の中国での毒ガス事故例。左は神奈川でのかつての毒ガス設置場所

右は毒ガス製造過程のスケッチ

毒ガス弾の様々あり方を解説

現在判明している旧日本軍の遺棄毒ガス弾埋蔵地
毒ガス展。戦時中、陸軍は大久野島で、海軍は寒川で毒ガスを作った。1942年5月、中国河北省北坦村で地下道に逃げ込んだ住民ら千人が毒ガスで犠牲になった。先月北坦村を慰霊で訪れ、6歳の時、1家8人のうち6人を殺された李さんと再会した。改めて日中不再戦、日中友好を誓う。
6日までやってます。 pic.twitter.com/GuWHXZPUwl— ねこやなぎ@肉球新党 (@hanenoshippo) May 2, 2025