埼玉「植樹祭」の天皇参加は憲法違反 反対の声を挙げてデモ貫徹!

デモ出発前に各地の参加者のあいさつ
植樹祭当日の5月25日には<轟かせよう! 天皇出席の埼玉「植樹祭」中止の声を>という集会・デモがおこなわれた。呼びかけ文を紹介し、参加者の報告を掲載する。(編集部)
5月25日(日)、国土緑化推進機構(公益社団法人)と埼玉県の共催で秩父ミューズパークにおいて第75回全国植樹祭が開催されます。全国植樹祭は4大天皇行事の一つであり、天皇・皇后が各地を訪問し、天皇制賛美の体制をつくりだし、天皇・皇后のもとに国民を統合するための装置です。天皇・皇后が3本ずつ「お手植え」―植樹をし、「お手まき」―種をまき、それを手本に招待客が植樹をおこなう儀式が中心です。
こんな行事で戦争や原発事故、独占資本などによる山や川、大地の環境汚染が回復されるわけがありません。
私たちは、「明治」天皇制国家の農民収奪に抗して秩父困民党を結成して闘ったこの地で天皇行事をおこなうことはゆるせません。秩父市は、私たちが5月25日の集会のために貸してほしいと申し出た公園、公共施設(会議室)を後付けの屁理屈を並べて拒否しています。天皇制翼賛体制をつくりだすための天皇行事の本質がここに示されています。思想・信条の自由、表現の自由は天皇制の前では破壊されます。現地闘争に結集して天皇行事反対の声をあげましょう。(もうやめよう!「植樹祭」埼玉実行委員会)

西武秩父駅前には暴力右翼集団と埼玉県警の機動隊、公安が展開していた

多くの警察に囲まれながらデモ出発
5月25日(日)13:30、秩父ミューズパークで行われた天皇出席の埼玉「植樹祭」に反対するデモに参加するため、西武秩父駅前に集合した。駅周辺にはデモを潰そうとする暴力右翼集団がうろつき、埼玉県警の機動隊や公安警察も多数展開していた。デモ参加者は機動隊で囲まれた中に押し込まれ、その中で前段集会を行わざるを得なかった。(事前に公共施設や公園の使用申請を秩父市に行ったが、秩父市が不当に拒否したため駅頭での集合になった。)主催は、《もうやめよう!「植樹祭」埼玉実行委員会》。
集会中も右翼はデモ参加者にマイクで暴言を繰り返し、何度も殴りかかろうと襲いかかってきたが、その中でも屈せずに前段集会を行った。実行委員会からの主催者あいさつのあと、大阪・関西・神奈川・多摩・茨城・東京から参加した仲間たちから、力強いあいさつが行われた。時間の関係であいさつは省いたが静岡からも複数の参加者がいた。
デモ出発予定時刻の14:10になっても右翼の攻撃を利用して、警察はデモ隊の出発を止め続けた。
集合地点から直ぐそこの駅前通りのデモ出発点にたどり着いたのが14時半過ぎ、3列縦隊のデモを行う予定だった(公安条例による規制)が、埼玉県警は右翼の殴り込みを放置してデモ隊を1列にし、わずかしか進ませない状態が続いた。1884年の秩父蜂起の時、「革命本部」にした埼玉県庁秩父地方庁舎《現在名》前に来たときには(デモコースの1/5ほど)、植樹祭の式典が終わる15時に迫っていた。
右翼の殴り込みでデモ隊のマイクが壊されたり、ポスターを取られたり・ぐちゃぐちゃにされた。警察は公安条例でデモ隊を規制しながら、その条件さえも守らず、暴力右翼の殴り込みや違法な行動は放置し続けた。右翼の妨害を利用してデモ隊の表現の自由を圧殺し、天皇出席の「植樹祭」への抗議の声を徹底して弾圧した。「植樹祭」の式典が終わり天皇が会場から去ったずっと後の16時ごろになって、警察はやっと右翼を排除してデモ隊は通常の隊形で歩くことができた。1時間あれば終わるデモが2時間半かかった。
車椅子での参加者も含めデモ参加者(約40名)は、警察の不当規制と右翼の暴力を跳ね返し、天皇出席の「植樹祭」反対の声を秩父の街に響かせ、デモを貫徹した。
(文・写真 吉田晃)

横断幕でアピール

右翼は街宣車を出して妨害行為

佐久良橋の上でやっとデモ隊の形成をとった

解散地点。後方には武甲山

本町通りに展示された川瀬祭の笠鉾と屋台