沖縄戦の国家責任を問う 徴兵・破壊・PSTD 民間被害者救済のために

福岡高裁那覇支部に向かう控訴人ら(琉球新報 2016年09月07日 より)
6月21日(土)13時より東京弁護士会館2階クレオにて「2025沖縄シンポジウム 沖縄とともに ―慰霊の日を迎えて―」が開かれた。主催は東京弁護士会。集会のチラシを引用しよう。「――平和主義を掲げ日本国憲法をもつ現代に生きる私たちは、戦争の記憶を風化させないこと、住民が戦闘に巻き込まれ、多くの犠牲者を出した沖縄の歴史を忘れないことが必要です。」
第1部では講師に瑞慶山 茂氏(元千葉県弁護士会会長)を迎えて「沖縄戦民間被害者救済のために」、第2部では講師の小西 誠(軍事ジャーナリスト)氏による「ミサイル攻撃基地化する琉球列島」の講演があった。ここでは瑞慶山 茂さんの講演を紹介する。
■瑞慶山 茂さん(弁護士・ずけやま しげる)
― 司法が認定した沖縄戦被害の真実 ―
私は南洋諸島のパラオで生まれた。両親は経済貧困にあえぐ沖縄から出稼ぎにきていたのである。父は徴兵されてジャングルで戦っていた。1944年 7月家族で乗っていた避難船が米軍機から攻撃を受け沈没し、母に抱きかかえられた私は生還したが3歳の姉は水死。まさに奇跡の生還であった。
自分だけが生き残ったという罪悪感がでてきた。なんとか語り残したいという使命感もあり、今に至っている。沖縄では祖母(父の母)が米軍に狙撃され死亡。父の弟は 16歳で日本軍に違法に召集されて少年ゲリラ兵として米軍と戦い重傷を負い、戦争PTSD(戦争による心的外傷後ストレス障害)となった(詳しくは 『証言 沖縄スパイ戦史』三上智恵著・集英社刊)。
沖縄は非武装の島。英国の探検家バジル・ホールとナポレオンの会話(1816年 大琉球島探検航海記)琉球の人々が一切の武器を持っていない話にナポレオンが驚愕した話。しかし、その後の沖縄の歴史は暗転し、日米軍の決戦場となった。
西田昌司参院議員の「ひめゆりの塔発言」は真実に反する発言である。それで沖縄戦をきちんと伝える必要を感じた。
■1 沖縄戦の特徴 ― 鉄の暴風・ありったけの地獄をまとめた戦闘
「沖縄戦は鉄の暴風と形容されるほどに熾烈をきわめた地上戦であった。米軍側の戦史でさえ、『ありったけの地獄を1カ所にまとめたような戦闘』と記したほどの凄絶悲惨な攻防戦であった」(『日本の空襲九 沖縄』三省堂、1981)と述べている。
沖縄は小さな島である。沖縄県の総面積 2388 km² 、沖縄本島 1220km² (最終激戦地の中部・南部は 250km² )、佐渡島 857km²。
大本営は 1944年 3月、太平洋戦争の連敗をくいとめ、本土防衛のために沖縄に 32軍を創設した。31軍は中部・太平洋を守る軍隊である。32軍は米軍の侵攻に備え県内の老幼男女を強制動員し、陣地構築や軍事用飛行場建設など、全島要塞化のための突貫工事を行った。住民居住地にも陣地構築。国体(天皇制)護持のための沖縄捨て石作戦であった。
この小さな島で3ヵ月以上の長期に及ぶ激しい地上戦がおこなわれた。米軍は陸軍・海軍・海兵隊など総勢 54万 8000人が沖縄を包囲した。上陸部隊 18万3000人。それに対する日本軍は約 10万人。この狭い沖縄本島を中心に米・日本軍合計30万人近い軍隊が地上戦を繰り広げた。
米軍は1945年 3月26日に慶良間諸島に上陸し、4月 1日に沖縄本島に上陸、6月 23日に牛島司令官が自決した。組織的抵抗はその後終了したが、部分的にはなお戦闘が続き、9月 7日に現地日本軍が米軍との降伏文書に調印した(5ヵ月間)。
米軍が使用した爆弾約 20万トン(日本本土で米軍が使用した爆弾 16万トン、広島型原爆の爆発力は 10万トン)。艦砲射撃の砲弾は 1800万発(『沖縄戦第二次世界大戦最終の闘い』編集:アメリカ陸軍戦史局 出版舎 Mugen 2011)。まさに「鉄の暴風」である。沖縄の地形も変わった。
日本軍は軍だけでは戦えないと住民と食糧(物資)の総動員。防衛隊、学徒隊(ひめゆり部隊など)、義勇隊、農兵隊、護郷隊(少年ゲリラ部隊)陸軍中野学校出身隊長の指揮下にあったゲリラ部隊は、沖縄本島北部の山岳部で展開。
当時は徴兵義務があり、兵役法では20歳以上は兵隊として徴収されるのだが、それ以下の住民を徴収した。戦況の悪化とともに17歳まで下げられたが、それ以下の16歳までの少年などを徴兵した。
兵隊は平地で主戦場を戦うが、山岳部でゲリラ戦をおこなうという計画で徴兵した。
沖縄では住民居住地が戦場となり、住民の犠牲が軍人のそれを越えた。なお、太平洋戦争で住民居住地の初めての戦場は、沖縄戦ではなくサイパン戦である(1944年 6月 15日~7月7日)。
軍人を上回る一般住民の犠牲(死者)は第二次世界大戦でも稀な例だという。( 戦死率 25%)一般県民(推定)は15 万人を上回る。日本軍 94,136人(本土出身兵 65,908 人、沖縄県出身兵 28,228人)、米軍 12,520人。日本軍と米軍の死者合計 106,650人。
徴兵は男性だけだが、沖縄ではひめゆり部隊をみればわかるように、女性も徴兵された。根こそぎ動員として体に悪い人も招集する。各部隊に招集権が与えられている。兵隊が足りなくなると招集する。70歳くらいの人も招集されている。人命軽視も甚だしい。
■2 沖縄戦と本土の原爆・空襲との違い(同一性と相違点)
いずれの人命被害が甚大であることは同一であるが、日本軍の戦闘行為の有無や場所、期間等について検討すると明らかに相違点がある。
1.沖縄戦
日米軍の住民居住地での地上戦闘、空爆、艦砲射撃などによる複合的戦闘行為。3ヵ月間以上の長期にわたる地上戦(原爆・本土空襲との決定的相違点)。那覇 10.10 大空襲や沖縄各地への空襲がある。
2.原爆
広島・長崎への飛行機からの特殊な原子爆弾の投下行為。広島・長崎では日本軍と米軍との地上戦闘行為はない。原子爆弾の破壊力は通常爆弾の数百万倍。
3.本土空襲
東京をはじめ、全国各都市への焼夷弾や通常爆弾の投下行為。本土各地の住民居住地での日本軍と米軍との地上戦闘行為はない。焼夷弾攻撃が特徴。
4.相違点を明確にすることの意義
(1)加害と被害の実態を明らかにすること
(2)沖縄戦訴訟の場合は、日本軍(国家)の不法行為責任の主張は可能であるが、東京大空襲訴訟や大阪空襲訴訟では、日本軍の不法行為責任の主張は不可。立法不作為が中心となる。
■3 沖縄戦被害の特徴
1.民間人の死者が軍人の死者を上回った異例な事実
人命軽視の戦闘行為の激しさを物語っている。
2.日本軍が住民殺害、強制「集団自決」・食糧強奪・壕追い出しなどを行い、住民加害行為を行った。軍隊は加害者となり住民を守らないことが明らかとなった。
3.国土が焦土と化し社会的共同体と生存の基盤が破壊された一木一草焼き尽くされ、地形が変形し焦土と化した。全県で 12万戸の家屋のうち 11万戸が焼失。首里城をはじめ文化財など焼失。家畜も甚大な被害を受けほぼ全滅。豚は、ハワイ移民が種豚を送ってきた。
4.沖縄戦被害(体験)の特質 ― 人間性が完全に破壊された狂気・女性の生理も枯渇するほどの戦争。沖縄戦の体験が原爆や空襲のそれと決定的に異なるところは、それが3カ月以上に及ぶ極限状態の体験だった点である。
壕の中で泣きわめく我が子を自分の手で絞め殺した母親、動けなくなった老母を生き埋めにして逃げ去った息子、女性の生理も枯渇してしまうほどの過酷な条件など。人間としての尊厳を失い、人間性が完全に破壊され、人間が人間でなくなった。沖縄戦の場合は人間としての理性が保てなくなる事態が続いた。このことを強調したい。
5.精神的被害(心の傷)も甚大・深刻
地上戦闘による生命・身体被害とともに精神的被害も甚大である。心的外傷後ストレス障害・外傷性精神障害が多く発症していることや、戦争PTSDが世代を超えて連鎖し、現代社会に深刻な影響を与えていることが、最近明らかとなった(後述する)。政府も調査を始めた。
政府は民間に対していっさい補償しなかった。一部、戦闘参加者として認定し補償があるが、これは援護法の適用、軍人・軍属の補償で民間人ではない。死者は靖国神社に合祀されてしまう。
沖縄でも東京大空襲と同じで民間人はいっさい補償されていない。沖縄戦の死者15万人のうち、戦闘参加者として認定されたのは5万3千人くらいいる。それ以外は補償されていない。負傷者も7万人くらいいるが補償がない。戦闘参加者として認定されるにも3人の証人がいる。激しい地上戦のなかで3人も証人はいない。申請しても認定されなかった人が多数いる。そのような人を救うために起こしたのが沖縄戦の国賠訴訟だ。
■4 沖縄戦・南洋戦・フィリピン戦被害国賠訴訟

沖縄戦・南洋戦・フィリピン戦被害国賠訴訟(レジュメより)
沖縄戦被害者の法律相談をしていくなかで、2010年に「沖縄・民間戦争被害者の会」をつくって国賠訴訟と立法運動をはじめた。「全国空襲連」に連帯している。
裁判の要点としては那覇地裁(一審)で事実認定は明確にしている。住民への自決強制や殺害については認めた。戦争のPTSDは無視した。裁判所はいい意味でも悪い意味でも無視する場合がある。戦争被害受忍論は採らなかった。
福岡高裁那覇支部判決(二審)では、PTSDを認定。沖縄戦における戦争被害の内容や程度を第二次世界大戦の他一般国民の受けた程度のそれと比較し、より甚大、深刻であると認定。日本軍兵士による傷害行為や強制集団自決を認定した。
PTSDはベトナム戦争終結後の 1980年にアメリカでベトナム帰還兵の診断・治療の結果、正式に診断名(病名)として確定した。外傷性精神障害である。精神的被害をアピールすべき。
昔から戦争PTSDはあった筈。今後の運動の要点になるだろう。これは国民的な課題だと思う。
米国から手紙が届く。沖縄戦の戦争孤児でその後は米兵と結婚し米国へ移住。しかしPTSDの影響があり、夫もベトナム戦争に徴兵されてその後は自殺した。その方は原告として国賠訴訟に参加し、法廷でも証言した。朝日新聞の記者は取材をしてくれた。(朝日新聞2024年11月24日)

沖縄戦で孤児となり米国に渡った勝江さんの取材記事(朝日新聞2024年11月24日より)
「沖縄・民間戦争被害者の会」としては戦争PTSDの問題を含めた立法措置ということで全国空襲連のほうに問題提起をおこなった。それで現在は立法運動を展開している。
この運動のなかで空襲議連による「特定空襲等被害者に対する一時金の支給等に関する法律案」がでている。国籍条項がないのは画期的だ。(資料3)
これは抑制的である。議論があったがなんとか実現したいということで、成立させたい欲求がある。自民党の反対などによって国会に上程できなかった。この間は国会前で座り込みをおこなった。なんとしても法律化したいという意志がある。ぜひこの運動にご協力願いたい。
(講演・レジュメも含め構成 文責編集部)

資料3 特定空襲等被害者に対する一時金の支給等に関する法律案概要(添付資料より)


