漫画で知る満蒙に送られた青少年たち ―内原郷土史義勇軍資料館
1931年に日本は満州事変を起こし「満州国」をつくった。そして、太平洋戦争敗戦時まで「満蒙開拓団」(満蒙=満洲と内蒙古の意味)と呼ばれる農業移民の入植者たちが国策として満州へ送り込まれた。正確なデータは存在しないが、一説には約27万人とも言われている。
さらに「満蒙開拓青少年義勇軍」が組織されて、日本内地の数え年16歳から19歳の青少年を満州国に義勇軍として送り、入植と治安維持に当たらせた。その唯一の訓練場が水戸の内原につくられた。1938年から1945年の敗戦までの8年の間に8万6530人の青少年が送られたが、訓練生も17,18歳になると現地召集され、シベリア抑留されるなど郷里に帰れなかった者が訓練生だけで2~4万人いると言われている。
内原が建設地となった理由としては、一定面積が確保でき、訓練に必要な指導者の確保、東京からの距離、交通の利便性などがあることが条件となり、政府に青少年の満州開拓の必要性を進言した中に加藤完治(のちの訓練所長)がおり、加藤が経営していた私学農業学校がこれらの諸条件を満たしていたためだと言われている。(資料館「満州開拓の歴史」より)
水戸の内原郷土史義勇軍資料館でミニ企画展の<漫画「満蒙開拓青少年義勇軍」の世界>が開催されているというので、夏の暑い時期は避けたかったが、常磐線を利用するついでもあり訪ねてみた。
常磐線内原駅は水戸の三つ手前の駅で、駅前にはなにもない地味な田舎の駅である。駅から資料館まで約25分くらいだろうか。駅から歩いてほどなく通りに地蔵院というお寺が見える。地蔵院には「満蒙開拓殉職者之碑」が建立されている。すぐ脇には聖母観音像も立っている。ここ以外にもやや離れたところにある本法寺別院には「極楽碑」(哈爾浜市郊外にあった碑を移設)と地元義勇軍関係者有志による「招魂」の碑がある。
内原郷土史義勇軍資料館は、内原訓練所が置かれた跡地らしいがその周辺にもいくつか関係する史跡が点在する。資料館そのものは旧内原町の歴史・民俗の史料をも保存しているところで、その関係の展示もある。
建物は2003年2月1日開館し、敷地内にも義勇軍の宿舎であった「日輪兵舎」が復元されている。
さてミニ企画展の漫画だが、これは細井芳男さんが内原と満州での体験をもとに漫画で描き、冊子にして昔の仲間などに配ったものだという。その冊子を受けとった方が戦争と平和の資料館「ピースあいち」(名古屋市)に寄贈した。今回のその資料や原画などを収集して展示している。
義勇軍に応募した者は農家の次男、三男が多く、当時は家督が長男が継ぐとなっており、次男、三男は耕す土地もなく満州での大農経営に夢を馳せた。
内原での訓練は基礎訓練を3ヶ月行い渡満する。渡満してから満州各地に点在する訓練所でさらに3年間の農業実習を終了すると国から10町歩の土地が与えられ、大農経営が許可された。
昭和13年から終戦の20年までの8年間で内原訓練所から86,530人の訓練生が渡満した。
(資料館「満州開拓の歴史」より)
漫画そのものは日常の生活や訓練の様子が一コマずつ単独で描かれている。漫画のせいだと思うが、想像するに過酷であったろう満州での体験などが、ほっこりした様子で、おかしみを湛えて表現されている。
常設に資料館も充実している。展示スペースは3つに分かれており、円形の義勇軍スペースに資料が凝縮されている。まず義勇軍関連の年表があり、資料展示として実物資料が置かれ内原訓練所の様子や満蒙開拓青少年義勇軍のグッズ、満洲語会話集などが見られる。また、映像資料もある。屋外には日輪兵舎を復元されたものが置かれている。
入館するときに、資料館の周辺に点在する関係史跡の案内地図をいただいた。すべて訪れると丸1日はかかるだろう。残念ながら時間が足りなかった。再訪を期して資料館を後にした。
(本田一美)
●水戸市内原郷土史義勇軍資料館
所在地:水戸市内原町1497-16
電話:029-257-5505
開館時間:9時00分~16時45分
休館日:月曜日、年末年始 ※月曜日が祝祭日の場合、火曜日が休館
入場料:無料
駐車場:8台